西洋では「私=個人」であるのに対し、日本では「私=家」といった、国より小さなコミュニティが根強く生活を占める。
「世間」という日本独特の社会システムを 手で並べた規則的な配列に置き換え、その羅列が繰り返されていくうちに
次第に形の歪みや色のモアレが生じ、物と物が呼応した空間が生まれる。
「暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。」/谷崎潤一郎「陰翳礼讃」より
陰翳の濃淡によって生まれる日本建築。茶室や書院の 内にひろがる幽玄さに慄きつつ 暗がりからのぞく光に感じる、ある種の精神の昂揚を表している。
枯山水は引き算の美学の原型といわれている。あえて水を排除した石庭に水を感じさせるような 最終的に要素を極限までそぎ落とし 鍛錬した「関係性」を見るように、人と人が対面したときに生じる動作を最小限な情報=線にそぎ落とし 余白をつくっている。
漢字の「空」には 青空、実体のないもの、からっぽをさす。「無」から「有」を感じるために 天と地との間の虚空から得るものをさがす。